昭和50年 |
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出田家の三人目、次男として生まれる。小さい頃から「あいつは雑草だ」と言われる。
当時、実家の目の前が海であったため遊びは海岸が中心、同級生や先輩たちと毎日、日が暮れるまで外で遊んでいました。キン肉マン消しゴム・ラジコンも好きでした。 |
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小学2年 |
小学生時代にファミコンが我が家にも登場し遊び方法は激変。友達と戦争状態・・・・。もちろん外でも遊んでいましたが・・・・。授業は図工が大好きでした。理由は課題を早く作ったら自由時間がもらえたから。 |
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小学4年 |
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小学4年地元の少年野球チームに入り友達も一気に増える。当時は篠塚・吉村・岡崎らがいた大の巨人ファン。大相撲を見るのも好きでマスラオ関が好きでした。この年洲本高校が選抜甲子園に出場し甲子園に出場したいという目標が固まる。 |
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中学校・高校 |
南淡中学校に進学、チーム内でまあまあの主力となり洲本高校一本に絞り野球と勉強に打ち込む。
洲本高校に進学、チームの足を引っ張らないよう努力し2年秋は県大会ベスト4.3年生の春には兵庫県で準優勝。夢に向かって突き進む努力の仕方が身についた時代でもありました。
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大学・就職・立候補を決意 |
大学1年生、忘れられない阪神・淡路大震災。卒業後、明石海峡大橋が完成。
愛知県の環境機械メーカーに就職、全国出張でいろいろな街並み、人と触れ合うことができ、故郷をよくしたいという気持ちが強くなる。
25歳で家業を手伝うため帰島。商工会青年部活動等を通じて、徐々に郷土を思う気持ちに火がつくのを感じる。
29歳、立候補を決意。合併に伴う第一回の市議会議員選挙で50名もの立候補者中、773票をいただき24位で初当選。二度目の選挙は1,117票をいただき27名の立候補者中18位で当選。
多くの方のご支援をいただき、2回の選挙を通じて多くのことを学びました。このお礼は一生かかっても返せないくらい感謝しています。
2010年。友人の市議の紹介で「林英臣政経塾」に入塾、政治観が一変。
2011年。塾の仲間と「日本改新」を誓い、現在は地域・日本の将来のため活動中 |
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